超長期禁欲を終えて
気がついたこと。
限りなく生物として完全なる状態に近づきました。完全な理性そのものが私の精神とリンクしました。
しかし自分の完全性を知るためには不完全性を知らなければならないことに気がつきました。
思いました。
完全なるままなんて有り得ないというかそもそも自分は最初から完全体だろ?これ以上完全体になる意味なくない?
自問自答でした。
それより
自分の脆さ、弱さを知る
不完全さを知る意味の方が大切なことかもしれないと…
180度価値観が反転したかもしれません。
人間の五感の欠陥•お粗末さを知る…私たちの五感の精度はそんなに高くないし、言ってしまえば欠陥だらけである…
先程言った完全性とは矛盾する。
完全性だけなら、宇宙の広がりは収束してしまうから不完全性が唯一の宇宙の広がり、発展をもたらすのであろうか…
ゆえに完全性と不完全性はセットでなければならない。自作自演の関係性とも言える。突き詰めて言えばなぜ不完全なのかも説明できるようなきがします…
だって、もともと完全なものだから!
なぜ人間は不完全なものをたくさん作りたがるのだろうから?
車やバイク、エレベーターにエスカレーター、飛行機などの乗り物、法律やシステム、すべて突き詰めれば不完全であるが、創作するばかりか運用までしてしまう…
犯罪、事故、事件、起こるべくして起こる…
簡単にプラスエネルギーが生産に積極的ならば、マイナスエネルギーは犯罪、事故、事件などに関与してくるのだろうと思います。
プラスエネルギーとマイナスエネルギーつまり自然なもの…
私たちが暮らす地球ではプラスとマイナスが常に存在しています。誰も逃れられません。
みんなこの自然な法則に従います。
1人の人間の中も同じであります。
プラスエネルギーとマイナスエネルギーが均衡しています。
このバランスと均衡をどのように保つかでその人に与える影響も変わります。
私たちは知っています。
プラスとマイナスが揃って完全であり不完全であるということが。
事象や人などの不完全性を受け入れることにより、成長としてまたひとつ完全なものになっていく…完全なものから一つまた一つ切り離し、不完全を想像する。自作自演ぽいのはこういう原理だからでしょうか?
不完全さは時に恐怖をも作り出します。
悲しみ、恐怖、不安、罪悪感、嫉妬、同時にさまざまな感情もセットで感じてしまいます。
完全性に人が近いた時、大きな喜びがやってきます。
喜び、感動、歓喜、高揚感、安心などご褒美がもたらされます。
これも反対側を知らなければ味わえない原理になっています。
経済で言う内需拡大的な発想に近そうですね笑。
奇しくも内需拡大は日本人が得意にしている手法ですね。
体験した感情は十分に味わえば大抵はそれで収束します。
が、一部囚われない、執着のワナがあるのはいうまでもありませんが。
人間そのものが宇宙に例えられるのはこうゆう原理が人生を通して体験として得られることだからです。宇宙が体験することを人間関係や自然との関係から学んだり体験できるから、宇宙意識みたいなものが自分にも流れていることに気が付きます。
そして、完全な肉体ではなく、不完全な肉体が人間に割り当てられている時点で察してあげなければいけないのかもしれませんね…。
私たちに求められているのは不完全性を知ることだと。
そして、その積み重ねが宇宙が完全であることの証明にもなっているというものではないかと思いました。
なので、しっぱいやミスしても良いのです。その結果どう思うか?どうしたいかが、唯一あなたに委ねられている事象ではないかと思います。
自分の気持ちにやはり正直にいきたいなあと思うのはそもそもそれがあなたに与えられた役割だからではないでしょうか?
宇宙からあなたという人間にだけ与えられたもの唯一のものが確かにあるのだとおもうのです。そして、それはさまざまな体験や経験の中からしか見つからないものだと思うのです。
おしまい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。