森羅万象をゆく。

今日もありがとう。「今」と「中心」に生きる。

高み。

男としてまた一段高みへ登っていると思います。

このステージへ到達できる男はごくごく限られた選ばれた男になるかと思いました。

 

昨日は曇りで、神社の近くへきましたが、明日がいつものお参りの日だったので、慌てず明日きちんとお参りしようと思い、本日お参りを実行しました。朝から気持ち良いくらい太陽がキラキラしていました。肉眼でまた太陽を直視しました。

太陽がまた私がしていること、現在の状況を応援してくれているように感じました。

 

○風俗後

あまり心配ではありませんでしたが、一応少し気にしていました。やはり、風俗なので、体や精神に異常をきたしてしまうのかな?と。

しかし、心配をよそに逆にモテ効果が発動しまくっています。

電車内で顕著でした。

20代半ばの美人系の女性、20代半ばのスリム体型の小柄な女性、今時の細くて顔が小さくて可愛らしい女子高生などはかなり密着した状態でくっついてくれました。

女子高生に関しては帰り乗り換え時から私の横に来てくれて電車内でも隣に来てくれました。横で、本を読んでいましたが、彼女の二の腕がぴったり私の肋骨から脇腹にかけて引っ付いていました。2区間で私が降りておしまいになりましたが、さすがに女子高生は少し驚きました。

さらに仕事関係でも男性受け、女性受けしていました。

なので、風俗を利用したことによる弊害はほぼほぼありませんでした。

 

○考え方

やはり夜のお店を利用する際、かなりリスクに見舞われると思いますが、私は次のように注意しました。

目的は女性を知るためと私のストレス発散です。ゆえにイチャイチがメインでしたが、目の前にどんな人がいようが、自分と同じように大切に扱うことができた。女性が気持ちよさそうになって興奮してしまいました。

気をつけたのはエゴの存在です。エゴに操られないように夜のお店を利用できたことがよかったかな?と思いました。

 

○セックス

陰陽、究極の行為をしました。

女性と愛し合い、実行できたかなと思いました。そこに素人、プロの差はないように思えています。持論になりますが、結局、恋人だろうが、彼女だろうが、浮気相手だろうが、妻だとしても行為中、愛がなければどれも一緒だということだと思っています。

愛とか言っていますが、要は普段から射精しないことが自分を大切にすることにつながり、優しさとかそういうのを持って女性とそういう流れになってしまったとか。そういうことが結果として愛になるかと思うのです。

彼女とか妻だろうが、そこに愛情が湧かない人はやっぱり行為しても男の魅力が上がるとは思えないのです。

 

禁欲して、出会い系や夜の店が敬遠されがちになりますが、肝心なところを押さえれば、どこの誰であろうが、愛して行為をした結果、男の魅力が上がるのだろうと、今はそんな心境になることが出来ました。

 

○前戯

私たちは思考や行動を習慣化しがちです。

ここに罠があると思うのです。前戯からセックスに至るまでも型が決まってきてしまいます…そうするともう作業になってしまいつまらないのです。

中にはルーティン化するのが得意な人がいて巻き込まれてしまうので、注意が必要になります。

私はデリヘルを利用した際にこちらのペースにする上でも「イクのが目的ではないんです…」と言って、相手がキョトンとなってこちらのペースにできたから良かったと思っています。

相手に主導権を取らせない。取られても取らせてるに変換してあくまでもこちらのペースとすることが大切だと思うようになりました。

セックスでいう前戯とはこの点を要約しているようにすごく感じております。

男が崇高なレベルで女性にアプローチしたならば女性は安心して身を任せてくれるんだなと最近では自身になりつつあります。

女性のレベルが上がれば上がるほど、良い男のアプローチを沢山受けており、多少のレベルの男が挑んでもびくともしないのはこういったことが原理になっておると思うのです。

私がデリヘル嬢をうっとりできたのはある意味やはり男として一定レベルであり、女性に認めて頂いたことになりますので、自己肯定感が上がるのは、至極当然の原理になるかと思うのです。

 

○惑わされない、巻き込まれない、流されない

人は気づかないうちに大抵、何かに流されたり巻き込まれていたりするものです。私の話で言えば、B子さん、自己愛班長が特に気をつけないといけない相手になり、気を許すとずるずると大変なことになることがわかりました。

相手の気持ちや立場、弱さなどをこちらが察するのですが、彼らはそれを上手に利用します。弱さを演出したり、立場を上手に使ったりと巧妙なため、意識して流されないようにまたは流されてるフリをしないと気がついたら大変な立ち位置になっていることがあります。

最近私は彼らと程よく距離を取っているため彼らの精神とリンクせず、自分らしく保てています。その結果生き生きと自分を感じて幸せさを味わうことが出来ていますが、逆に彼らに同調してしまうと重苦しい何とも嫌な気分にさせられますが、彼らからコントロールされ出すと楽だし、彼らに気に入られていると錯覚してしまうのである意味居心地が良くなってしまうのでかなり注意が必要だとわかりました。

 

○高み

高みとは、人間関係で色々しがらみがありますが、それから逃れ、ある時はしがらみ自体絡め取り、それらの上をいくという行為だと気がついてきました。そうなんです。空想ではなく、彼らを足場にして、彼らのコントロールから逃れ逆に彼らを操るような感覚さえでてきます。

女性も同じです。彼女たちは何者にも屈しない逞しい生き物であります。B子さんだって利害関係で自己愛班長と仲良くなっているだけだと分かってきました。

そんなB子さんがやはり女性としてたまに私と接してくれますが、そこには女性の本質がたくさん詰まっていて長く観察しているとそう言ったことまで分かってきたので、本質を見失わなくて良かったかなと思いました。

下々にはグレーゾーンだったり何が起こっているかわからない事象も高みに至ったならば見えてくる景色があり、「そういうことだったのか!?」と納得することができます。

人間関係特に女性関係はそういうことになります。

 

○まとめ

ありがたいことに私にはやりたいことに対して高みを極めたいという思いがあり、物理的にも時間的にも拘束されることなく、私自身とまたは経験から得た知識等から必然的に興味が湧き、そのことに対して何かを犠牲にしても惜しむことがない状態や環境にすることができました。私がさらにモテに対して高みに昇ることは偶然ではなく、必然的になるかと思います。

B子さんや自己愛班長との関係性も私を男として磨き上げてくれています。

途中何度かこの場で泣き言も言いましたが、実際は全てを受け止め、受け入れてきました。一つ一つのことでは気がつきませんでしたが、それらが私を磨いてくれていて、この時点で振り返ってみるとかなり大きく成長できている自分に気がついたのでした。

何が起きても大抵のことは笑って受け止めることができるからです。

笑って受け止める=死ぬ気で受け止める

であり、

どんなことにも、人前では笑い飛ばし、人が見ていないところで死ぬ気で取り組む、受け入れることをすることであり、私が笑って受け止めることは周囲がきちんとこの人はきちんとやってくれる信頼できると安心感を与える笑になるからです。

一つ一つの小さなことでも一つ一つは同じものはなく、他人には小さくてもその人には大きなことかもしれませんし、高みを目指すということは一つ一つ大切にし、それらを土台にし、高く上がっていくことも意味します。

だから高みに登るためには自らの思考を決して手放してはならないし他人に委ねてはならないのです。

長くなってしまいましたので、一旦終わります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。