哲学書で、【ソフィーの世界】という本があります。上下巻なっていて読み応えがかなりありますし、物語にグイグイ引き込まれていきます。上巻の終盤までで止まっていましたが、下巻の最初のところまで読み進むことができました。
○カント
理性とは、自身の中に時間と空間を持っており、それによって物事を因果律として認知しているという。
またそもそも自然法則も人間に備わっており、感覚的存在として認知している。
カントの言っていることを要約すると、感覚的な自然法則は因果律によってガチガチに支配されるが普遍的な理性に従うならば私たちは自由で独立した存在になれると言った。
また、このことから、
「見えるものを何でもかんでも信じてはいけないよ。」
「そんな時は、そっぽを向いてしまえばいい。」
と登場人物のセリフとして伝えていました。
○まさに
最近私の中で起こっている物事の対処方がまさにこれにあたり、すごく共感が持てています。
私の場合は、女性関係で、相手から好意的なアプローチのようなことをされても意に返さないようにしていて、事実かどうか分からないものに対して心が動いたり、動かしたりしないようにと実践しています。
また、仕事関係でも判断や判定を急ぎすぎないようにし、目の前に起こっていることに囚われないように至極努めている状況でもあります。
○現在
私は現在、まだ喉の調子が悪くガンプラの塗装を諦めています。休みでやりたいことが出来ずに悶々としていて、ちょうど【ソフィーの世界】にでてくる哲学者のカントと似たようなことを考えていました。
カントが言う、私たちは自然法則の因果律にガチガチに支配されています。別の言い方をしますと感覚的存在としてであります。
要は目の前で起こっていることに対して囚われたり信じたりすることで、自分の望むような結果が得られなくなり、因果律の法則に支配されてしまうと言うことなのです。
こうならないためにカントは普遍の理性に従いましょうと言っています。
難しすぎてどういうこと?
ってなりますが…
1➕1=2
であるのです。
時に私たちは感覚的存在によって間違った計算をしてしまいます。
1➕1=3 とか4とか…
1➕1=2ならば、私たちはずっと独立した存在でいられるのでした。
私のまだ少ない経験からも同じ理屈で紐解くことが出来ましたので記事にさせて頂きました。
また自分にとっても新たな発見でした。
○まとめ
考察実験として、現在私はとくに対女性に対して、「目に見えることをそのまま信じちゃいけないよ。」ということを肝に銘じて実践している最中であります。
このやり方は禁欲効果とバツグンに相性が良いと思っていたところ、偉大な哲学者のカントが言っていることと同じであったのがすごく嬉しいですし、何か「ここまで、来たかあ。」という思いが同時に湧き起こりました。
この実験から人の心の内、思考と言ったものまで読み取れるような気がしています。それにはまだまだ私の経験が足りないですが、鍛えれば自由自在に相手をコントロール出来てしまうと想像できます。
言葉でなかなか説明が難しいですが、禁欲効果で自然と女性からモテてしまうからこそでもあります。
そもそもが禁欲もせず、流されるまま生きている状態は理性的ではなく、感覚的存在として自然界に属する因果律によってあなたの行動は支配されていると言っても良いでしょう。
そこにはもはやあなたの意志はないのです。
禁欲してまずは基本な状態になって初めて【生きる】ことの意味を知るのではないでしょうか?
物事を素直に見通すことがまずは何よりですが、私たちは何かに依存していて、【依存】というサングラスをかけた状態では1➕1=2となかなか気付けないのです。
おしまい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。