という本があったので、早速読んでみる。
第一章の味覚までを読んだ。
良い。
実に良い。
購入して良かった。
そもそも、外界を認識するシステムの事を当たり前過ぎてあまり考えてもみなかった。
しかし
からだが食物の堆積物であるように。
この五感のシステムも私自身の認知・自覚にかかっているのだ。
よく
人は自分の見たいものしか見れない
と言われるがよく分かってくる
本書を軽く少し読んだだけだが、五感とは センサー としての位置付けとなっていた。
なるほど。
本来
五感とは優秀なセンサーなのだと。
例えば
味覚について
古来より食は 命のやり取りでもあった そこで重要なのはからだに害とる毒物を見分けなければならない。
そのために味覚としてセンサーとしての機能を有しているのだが、現代の食習慣でそれは破壊された…と。
と大体このような内容であった。
そう
本来、五感とは未知のものに対しての センサー の役割がある。
それに頼ってわたし達は生きていたのである。
が
現代はどうであろう?
食にしても いつも決まったもの しか食べないから 味の冒険もないし、危険性もない。
著者の言葉を借りると
頭で食べているのである。
もう頭で想定した味があり、特に新しい感動もなく日々の食事が終わっていく。
だから味覚が退化しているという内容であった。
そして
わたしが考えているのは、頭の思考、固定観念とかが、五感の働きを邪魔しているのではと考察する。
五感というもので外界を正しく観測するならば、万物は刻々と変化するものであり、その極小の変化を正しく正確に捉えることができるセンサーであり、五感を統制する織(しき)によってその対象のあるがままを捉えてそのものを明瞭に理解する。
と
なるのではないか!?
わたしたちは自身の固定観念で 決めつけてしまう 傾向がある。
だから五感もその先入観通りの働きをするのである。
疑いの目でその人を見てしまったならば最後である。その人の言動がすべて怪しく見えるのである。
本当に大切なことを教えてくれているのに、聞く耳を持たなければ何も聞こえないのである。
知ってましたか?
探し物をする時に
「ないない。あれ、ないな〜」ってするより
「あるある、絶対にある。」ってやった方が見つかりやすいって。
実に単純なカラクリですが、わたしたちは気が付かない方が多い。
五感は扱う人の心がけで、その真価を発揮することもあれば、まったく機能しない場合もあります。
わたしたちは五感を通しでしか外界を捉えることができません。
今一度、五感について考えてみませんか?
と
まとめたいと思います。
おまけ
犬は飼い主に似る とありますが、うちの犬は大胆不敵で、もの応じしません。一切怒ったこともありません。それに人間犬好きであります。
今日は動物病院に行ってきましたが、ペットと飼い主を見ていたらなるほどなーと微笑ましく見ていました。
わたしはなるべく主観的ではなく、ありのままの状態で物事と対峙して、自分がそのことで どう反応したいのか? というような行動を取っています。
今のところ、この方法が良いなと思っていましたが、五感の勉強をして、尚更、この方法の良さが分かったように感じました。
五感を磨くのも修行のうちなのだと、より理解を深めていきたいと思いました。
今日も最後まで
ありがとうございました。
おしまい。