⑥騎牛帰家(牛に乗って家に帰る。)
お彼岸のお中日(ちゅうにち)にあたる春分・秋分の日には、太陽は真東からのぼり、真西にしずんでいきます。昔の人は、夕日を見ながら西方浄土を信じ、亡くなったご先祖さまに思いをめぐらしていたのかもしれません。
さて、「十牛図」も後半に入ります。牛を飼いならした旅人が、その牛に乗って家に帰る「騎牛帰家(きぎゅうきか)」の場面です。
旅人は、見つけた牛(目標)を何とかつかまえ、飼いならしていくうちに、牛と自分がぴったりと、ひとつのものになっていることに気づきました。
絵には、牛の背中で笛を吹いている旅人の姿が描かれています。手綱もにぎらずに、牛の進むにまかせています。
その行き先は、彼らの家です。「十牛図」は、突然、ある人が牛を探して旅に出たところからはじまりました。その旅も今回で終わりです。自分たちの本来いた場所に、戻っていくのです。
― 序 ―
旅人と牛との戦いはすでに終わり、何かを得ることも失うこともなく、すべては元に戻った。
旅人は、きこりが木を切りながら歌うような、素朴な歌を口ずさんだり、子供のように、思いつくがままに笛を吹いたりしている。
体を牛の背中に横たえて、牛の歩みにまかせていくと、目の前には、雲の向こうに大空が、はるかかなたまで広がっているのが見えてくる。
もはや牛は、呼んでも振り返ることはなく、取り押さえても、歩みを止めることもない。
旅人は、なぜ楽しそうに歌を歌ったり、笛を吹いたりしながら、のんびりと家に帰って行くのでしょうか。「十牛図」の説くところには、旅人も牛も、もともと同じもので、やっとの思いで牛をつかまえ、手なずけても、「元に戻った」にすぎないのです。
それでも旅人が満足しているのは、誰に言われるでもなく、自分から牛を探しはじめたからではないでしょうか。自分の足で歩きまわって、いろいろ大変な思いをしてきたことは自分だけの財産です。「元に戻った」ことと、「何もしなかった」ことは同じではないのでしょう。
― 頌(じゅ) ―
人が牛に乗って、ゆらゆらとゆられながら家に帰ろうとしている。
その人の吹く笛の音が、あたり一面に鳴りひびいて、夕焼けの雲を送っていく。
その拍子(ひょうし)や歌のひとつひとつには、限りない思いがこめられている。
その音色にこめられた思いが分かるなら、あれこれと説明する言葉など必要ないだろう。
⑦忘牛存人(牛のことを忘れる。)
キャッチボールの基本は、相手をしっかり見て投げることだといわれます。同じように、毎日の生活でも目標を見定めることは大切なことです。
それでは、禅の目的とは何でしょうか。禅の教えとは、物事にこだわらず、あるがままの心を持つことで、自分を見失うことなく生きることができる、というものです。「こうでなければならない」というのは、きゅうくつな生き方である、と禅は説きます。
「金剛経(こんごうきょう)」というお経には、次のような教えがあります。
「お釈迦さまはいつもおっしゃいました。『修行をする人たちよ。私の説法は、筏(いかだ)のようなものだと心得なさい』と。」
筏(いかだ)は、川を渡るためには必要なものです。しかし、川を渡ったあとも、いつまでも筏(いかだ)をかついでいるのでは、かえって荷物になるばかりです。病気が治ったのに薬を飲みつづければ、薬も毒になります。仏教もまた同じなのです。
それでは「十牛図」の第7図、「忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)」を見ていきましょう。
― 序 ―
これまで、牛があたかも人とは別のものであるように描かれていたが、それは仏の教えを説くためのたとえであって、もともと仏の教えは二つでないように、牛も人も一つのものである。
ウサギをつかまえるためのワナや、魚をとるためのしかけと同じように、自分自身をつかまえるための手段として牛を用いたにすぎない。
牛と人とが一つのものであるということは、まるで純金が土の中にある石から出てきたり、雲が晴れて月が現れてきたりするのに似ている。
そのひとすじの月の光は、この世にはじめて仏があらわれるずっと前から暗やみを照らしていたのだ。純金も月も、土や雲にかくれていただけである。
図をみると、旅からもどった人が、荷物をといて、くつろいでいます。あれほど苦労してつかまえ、かいならした牛は、どこにも見えません。牛のことなど忘れてしまったかのようです。この図は、人と牛とが一体となった段階をあらわしています。
牛は、追いかける目標でもあり、本来の自分の姿でもあります。そして、牛は存在しないのではなく、かくれていただけです。雲が晴れて月があらわれるように、はじめから自分の中に牛はいたのだと「十牛図」は教えます。
このことに気づくことを、仏教では「さとり」といいます。でも、牛を探そうと思わなければ、自分のことすら分からないままです。
― 頌(じゅ) ―
牛に乗って家に帰ってきた。
そこには牛の姿はなく、人はのんびりとしている。
太陽が高くのぼっても、まだ夢の中。
牛をつかまえるために使っていたムチも縄(なわ)も、納屋(なや)に置きっぱなしである。
⑦人牛倶忘(自分の事も忘れる。)
第8図「人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)」を見ていく前に、まず「空(くう)の教え」を説明しておきます。
たとえば、水があふれんばかりに入ったコップがあるとします。このコップで、別の飲み物が飲みたいとき、どうしますか。水をほかの容器に移したり、飲んだりして、とにかくコップの中を空っぽにすることでしょう。
コップの中の水は、人のこだわりや価値観です。この、こだわりや価値観を、いったん空っぽにしなければ、ほかの考え方を受け入れたり、ものごとを自由に考えることはできない、というのが「空(くう)」の教えです。
たしかに、こだわりや価値観は、ときに迷いをふりはらったり、行動のよりどころになったりする面もあるように思います。しかし、こだわりも価値観も、絶対に変わらないものかといえば、自分の都合や人の意見によって変わってしまうこともあるでしょう。
こんなふうに、自分では確かなものだと思っていることでも、じつは案外たよりないものだったりするのです。たよりないものに、いつまでもしがみついていてはいけません。それは、川に流されているのに、自分で泳いでいると思いこんでいるようなものです。
― 序 ―
ああしたらいいだろうか、こうしたらいいだろうか、という迷いの心からは抜け出した。かといって、何もかも分かったような、さとりの心にも、もはや、とどまってはいない。
仏さまがいる世界にいつまでも遊んでいることはない。さとりの心にとどまれば、「さとり」ということに迷ってしまう。仏さまのいない世界ならば、なおさら、さっさと走りぬけていきなさい。
これが迷いだとか、あれが「さとり」だとか、そんなささいなことに心をうばわれなければ、たとえ観音さまでも、その心を見ぬくことは難しいだろう。心に何の考えもなければ、見ぬきようがないからである。
さて、あるお坊さんが修行しているところに、鳥が花をくわえてお供えに来た。お坊さんがさとりを開いたら、鳥はもう来なくなった。さとったことを鳥にまで見ぬかれているとは、なんと恥ずかしいことではないか。
今回の「十牛図」には、何も描かれていません。第1図からずっと描かれてきた、旅人の姿も見えません。まさに「空(くう)」です。自分の都合も、立場も、知識も、経験も、すべて空っぽになった状態です。
旅人は、自分のやるべきことは何か、幸せとは何かを探していました。「さとり」とは、その答えが自分のなかにすでにあったと気づくことです。しかし「十牛図」は、その「さとり」でさえ忘れなさいと説いています。ひとたび目標や幸せに気づくことができたなら、もはやあれこれ考える必要はないからです。
― 頌(じゅ) ―
持っていたムチも、牛をつないでいた手綱も、自分自身も、牛さえも、何もかもが消えてしまった。
青空が、はるか遠くまで広がっていて、出した手紙はどこまでいっても届きそうもない。
真っ赤に燃える炉のなかに、どうやって雪をたくわえておくことができるだろうか。
ここまできて、ようやく達磨大師(だるまだいし)の教えにぴったり同じになるのである。
⑨返本還源(すべて元通りとなる。)
お盆が近づきますと、各家で精霊棚(しょうりょうだな)がまつられることがあります。そして、キュウリで作った馬と、ナスで作った牛が飾られます。これは、ご先祖さまに馬に乗って早く家に来ていただき、帰りは牛に乗ってゆっくりと戻ってもらおうという願いがこめられた風習です。
また、盆の入りと盆の明けに、玄関先やお墓で行われる迎え火と送り火も、ご先祖さまの道を照らす明かりです。
お盆の施餓鬼会(せがきえ)は、文字どおり餓鬼(がき)に施すことによって、その功徳(くどく)でご先祖さまを供養しようというものです。餓鬼とは、物をもらってばかりで与えることのないまま亡くなった人のことです。
餓鬼に食べ物や、浄水(じょうすい)を施すことで、自分の中にある「むさぼりの心」を見つめ、受けた恩に感謝するきっかけの行事でもあります。
さて、「十牛図」もあと2枚となりました。「返本還源(へんぽんげんげん)」は、「元にもどり、はじまりにかえる」という意味です
― 序 ―
どんな人の心でも、生まれてきたときは清らかで、ちり一つさえついてはいなかった。それが、月日がたち、経験をつむと、自分なりのものの考えが、心をくもらせてしまう。
だから、この世界の移り変わりをながめても、はやりすたりにまどわされないで、心に何のこだわりもなく、ありのままに見ていくことが大切だ。
それは、この世界を幻のように、はかないものだと見なさい、というのではない。本来の、清らかな心で見れば、世界はそのままで美しいのである。どうしてむずかしい修行をする必要があるだろうか。
湖の水は緑であり、遠くの山は青である。そんなことは歩きまわらずに、ただすわってながめていれば分かったはずなのだ。
日々のいそがしさの中で、幸せを感じたり、目標を見失ったりすることがあります。また、知識や経験が増えてくるにつれ、あれこれ考えをめぐらせてしまいます。そんなときは、悩みや迷いだけでなく、幸せや目標のことも忘れればいいのです。苦労したあげく手に入れたものは、そう簡単に失うものではありません。
風が吹けば花びらは散ります。でも、だからといって木が枯れるわけではありません。花にこだわるより、根をしっかり張ることのほうが大切なのです。
― 頌(じゅ) ―
牛を求めて旅をしてきたが、結局もとにもどり、はじまりにかえって、牛も見えず、自分もない。
これでは、何も見ず、何も聞かずにきたようなものだ。
まるで、家の中にいるのに、目の前の庭にある、物に気づかないのと同じである。
旅に出るずっと前から、湖は広々としていたし、花も赤く咲いていたのだ。
⑩入鄽垂手(町に出て生活する。)
仏教では、迷いや悩みの世界をこちらの岸「此岸(しがん)」、幸せのある世界を向こうの世界「彼岸(ひがん)」といい、その間には大きな川が流れているとされています。お釈迦(しゃか)さまは、この川を渡って彼岸にたどり着くには、6つの方法があると説きました。
1、布施(ふせ)……施(ほどこ)し
2、持戒(じかい)……戒(いまし)め
3、忍辱(にんにく)……忍耐(にんたい)
4、精進(しょうじん)……努力
5、禅定(ぜんじょう)……坐禅
6、智慧(ちえ)…… 叡智(えいち)
「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の終わりの部分に「掲諦(ぎゃてい) 掲諦・・・・・・」ではじまる真言(しんごん)があります。
真言とは、お釈迦さまが話されていた当時の言葉のことで、唱えると功徳(くどく)があるといわれます。この般若心経の真言の意味は、「自分は渡った。人も渡った。彼岸に着いた。みんなで彼岸に着いた。さとりが成就した。」というものです。
修行した人だけが幸せになるのではなく、すべての人が幸せになることを仏教は目指しているのです。
それでは「十牛図」の最後の段、「入鄽垂手(にってんすいしゅ)」を見ていきましょう。
― 序 ―
柴(しば)の門を誰にも知られず、ひっそりと閉ざしてしまえば、お釈迦さまでも観音さまでも、門のなかを知ることはできない。
そのように、自分がさとりを得たことを表にあらわさないで、昔の立派な人のまねをしないで歩いていく。でも、自然と同じ道を歩いているのだ。
そうして、空っぽのひょうたんをぶら下げて町に行き、疲れたら杖(つえ)をついて家に帰る。
仏さまの教えにもしばられず、酒屋にも魚屋にも行って、会う人みんなの心を安らかにしていくのである。
図に描かれている布袋(ほてい)さんは、中国の唐の時代の禅僧がモデルとされ、日本では七福神(しちふくじん)の一人として知られています。大きな袋には、人からもらったものが入っており、人に会うとそれを取り出して、あげていたということです。
さて、この布袋さんは、牛を探していた、かつての旅人です。目標を見つけ、見失っていた自分を取りもどした旅人は、町に行って人々と交わります。身なりにこだわらず、威厳(いげん)もありません。仏教で禁じられているお酒も飲むし、魚も食べます。そうして、出会った人の考えや行いに影響を与えていきます。そして、それは同時に自分自身の成長にもつながっていくのです。
― 頌(じゅ) ―
その人は胸をあらわにし、はだしになって町に入ってきた。
土にまみれ、泥をかぶりながら、その顔は笑いに満ちている。
仙人が持っているという不思議な力があるわけでもない。
ただ、枯れ木に花を咲かせるように、人々を救っていくだけだ。
≪ おわり ≫
となります。
いかがでしたか?
まとめ
「真の自己」が牛の姿で表されるのは、インド以来の聖牛という考え方と、農耕民族としての中国人には牛が実際生活の支えであったためであろうとしている。
十牛図において本質的なことは、牛が真の自己を象徴することよりも、野牛を捕まえて牧い馴らしてゆくという牧人と牛との動的な関わりが「自己の自己への関わり」のリアルな類比になっている点であるという。
※Wikipediaより