森羅万象をゆく。

今日もありがとう。「今」と「中心」に生きる。

怒らない禅の作法④

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人生は学びですよね。

自分の目の前で起こっていることは自分自身の学びである。

ということで、今日も禅で修行ですよ!!!

 

さて

 前回の記事になります。

tsuyokidego.hatenadiary.com

 

 

 

怒らない「心」

⑮まず自分から始める

 

「他不是吾」(たこれわれにあらず)

「他人は自分ではない、人がやったのでは自分の修行にならない」

という意味になります。

 

自分の修行は、自分自身にしかできません。同じように変わりたいと思った時に、自分を変えられるのは、自分自身だけです。

 

もし、有能なコーチのようにあなたを導いてくれる人が現れ、手取り足取りアドバイスしてくれたとしても、他人に依存している限り、自らの道は見えてきません。

 

また、移動や引っ越しなどの環境の変化によって、あなたを悩ませていた人間関係から離れたとしても、あなた自身が変わらなければ、また同じような状況を生み出すでしょう。

 

禅では、作務を「人が人であるための基本行為」と位置づけています。禅僧は、掃除や炊事、庭仕事などを「片づけなければならない義務」だとは捉えません。

たとえ面倒な仕事であっても心を込めて行えば、必ずそこに清々しさが残り、真剣に取り組んだ分だけ仕事の結果が残ります。そして、自分の成長が感じられます。

 

 

 

 

⑯完璧を求めない

 

生きている限り、すべてが思い通りに進み、悩みやストレスが完璧に消えるということはありません。

また、まったく欠点のないパーフェクトな人はこの世に存在しませんし、初めから何でも完璧にできる人は一人もいません。

ところが、私たちは何かをやろうとするとき、なぜか完璧を求めてしまいます。

 

希望を持って自分を変えようと努力したり、相手といい関係を築こうとする姿勢を持つのはいいのですが、自分が行動したことで望む結果が得られないと、すぐに落ち込んでしまいます。

「自分には、どうせできないんだ」

「あの人が変わらないから、いつまでも苦しまなければならない」

そうやって、自分を卑下したり、相手を責めたりし始めるのです。

 

しかし、人間は不完全な生き物であり、日々思い通りにいかない現実の中でもがきながら生きていくもの。

今を受け入れて、淡々と前に進んで行けばいいのです。

 

その時に心しておかなければならないのは、結果に執着しないということです。

 

なぜなら人生においては、結果が出ることの方が少ないからです。

もちろん、「何が何でもいい結果を出すぞ」と決意し、懸命に努力することは大切ですし、だからこそ素晴らしい成果を残せるということもあります。

それでも、そこに辿り着くまでには時間がかかります。

また、試練もあるでしょう。

 

しかし、そこで「もう嫌だ」と努力をやめてしまえば、今までの状況を変えることはできません。

 

水が流れる場所には、おのずから渠(みぞ)ができます。初めは細々とした渠であっても、水が流れ続ければ次第に太くなり、最後には豊かな水をたたえる水路になります。

禅では、その真理を「水到渠成」(すいとうきょせい)という言葉で説いています。

 

変化の時を迎えるためには、結果にこだわらず無心に努力し続けることが重要なのです。

 

 

 

とあります。

いかがでしたか?

 

 

まとめ

この本では、怒りをまったく感じない

「聖人君子」になる方法を伝えたいのではありません。

人間ですから、喜怒哀楽があるのは当然なのです。

禅では、さまざまな感情が湧いてくるその心を、平静な状態に

整える方法を教えています。

 

心身共に自分自身の生活を律していくことが、心を磨くための道だと考えられています。