禅。ZEN。ぜん。
ということでシリーズ②になります。
わたしは最近とても幸せです。
そして幸せを感じている一方で、幸せすぎて怖い?と同時に感じています。
幸せホルモンセロトニンの出っ放し状態もよろしくなく、何事もほどほどな状態が良い。
ということで
心や思考もニュートラルな状態にすべく今日も禅を勉強していきたいと思います。
前回のつづき
⑪自分の人生の主人公になる。
映画やドラマで使う「主人公」が、もともとは禅語だということを知っている人は少ないでしょう。
自主性や自己責任を持って自分の人生を生きろという意味で、「自分の人生の主人公になれ」と言ったりしますが、禅で言う主人公は少し意味が違います。
禅で教える主人公とは、心の中にある仏性、本来の自己のこと。誰もが自分の中に仏様と同じく輝く仏性を持ち、それこそが自分本来の姿であるということ。
その姿に出会うことが、本当の自分を生きることにつながるのです。
自分本来の姿を生きられるようになれば、怖いものはありません。
何があっても泰然自若(たいぜんじじゃく)。あなたを攻撃したり批判したりする人が現れても、悠然とかまえていられます。思わぬトラブルに巻き込まれても、「これも経験」と前向きに受け取ることができます。
何より、ささいなことでカッとしたり、むしゃくしゃして人に当たらずに済むようになります。
なぜなら、何者にも侵されない尊い自分がいることが分かっているのですから。
しかし、私たちは自分が主人公であることに簡単には気づけません。
人と自分を比べて嫉妬してみたり、自分が持っているものでなく、持っていないものばかりを探して落ち込んでみたり…。
つい感情的になってしまうのも、自分ではなく、相手を自分の人生の「主人公」にしているからです。
「どうせ自分は」という自己卑下や「人に勝たなければならない」という思い込みを、一度手放してみてください。
その場その場で、あなたが主人公になるのです。
⑫求めない。
お釈迦様が亡くなる直前に行ったとされる説法の中に、「知足」という考え方が出てきます。
足るを知る。
今与えられているものに満足し、感謝すること。
三毒のひとつである欲望には、キリがありません。
私たちは、物はもちろんのこと、人間関係や仕事での業績、私生活の充実、果ては自分の若さや容姿に関してまで、「もっとほしい」「もっとよくなりたい」と
望みがちです。
それだけではありません。自分の人生に関わりのある人にも、「もっと」と望んでしまいます。「パートナーがもっと稼いでくれたら」「子供の成績がもっとよかったら」…など考え、現状で満足することがなかなかできないのです。
欲望は次第に執着となり、それがさらなる執着を生んで、自分を苦しめるということを知っておく必要があります。
ほしいものが手に入らない場合は、苛立ちや焦りが生まれます。
いったんほしいものが手に入ったとしても、すぐに次のほしいものが心を悩まします。
特に、人間関係での欲や執着は、怒りを引き起こす原因になりがちです。
心のどこかに、相手をコントロールしたいという気持ちがあるからです。
今持っているもの、そばにいてくれる人、置かれた状況。
すべてを大切なご縁によって結ばれたものです。
人間であれば、まったく欲望を持たないことは不可能です。
自分の身の丈を知ること。
そして欲望に支配されないことが大切なのです。
ありがとう。もう十分。
そう言えた時、心にやすらぎが訪れます…。
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つづく…