どんな芸術も遊び心を失ったら生まれてはこない。
遊び心は、人間に豊かさを与え、大きくさせる。
遊びとは、「悦び」のヴァイブレーションに順うことだ。
どんなに小さく見えることでも、ワクワクの奥には、大きな世界がある。
宇宙がある。その奥で、人はTaoと出会う。
人間には、真に魂が要求する物事にしか本当は意識を向けられない性質がある。
どんなに仕事をしても、仕事として行う以上、真の創造性は働かない。まじめなだけの仕事人間に天才はいない。
人は、すべて天才であるべきだ。
老子が「徳」という時、彼はこの言葉に、性交時の女性のあり様を秘めている。陶酔感の内でこそ、すべては成就するのである。
すべてを導き込む「谷」は、古代人にとって、精霊たちの集まる場であり、大いなる女性器を意味していた。人は谷のような存在となる時、あまたの精霊に導かれ、自らも精霊と化すのである。
となります。
いかがでしたか?
最近現実世界でちょっともの足りないなって
な~んて思っていました。
きっとこれですね(笑)