正しさを他に求めれば、その人の欠点や不正ばかりが気になって、その人が許せなくなる。自分に求めたとしても、ストレスがたまる。
教師の子供になぜか問題を抱えた子が多いと言われる。
これは、善意で我が子を見てしまう結果である。真に豊かな心の子供を育てることのできる親や教師は、例外なく、善悪を超えた観点で子供を見るものだ。
老子はこれを「善の善なるを知れば、これ不幸のみ」と言う。
善という善のすべては相対次元の主観にすぎない。自然界には善悪は存在しない。禅を押し進めることは、主観を強めることに他ならない。
人間の進歩は、そうした相対次元をどれだけ超えるかにある。
人間の可能性は、それをどれだけ超えられるかにある。すべては超えるためにあるのだ。
相対観念に生きる人間は必ず人を傷付ける。正しいという字は一度止まると書く。
人間は、正しいと思ったら、一度止まって我が心を振り返る必要がある。
となります。
いかがでしたか?