世界というものは、一見、自分の意思とは関係なく、あっちで何かが起こり、こっちで何かが起こり、そうした無関係の重なりで運行しているように見える。
自身という一点を極めると、その向こうで、人は新たな宇宙に出会う。
その宇宙は、自身が主人公としての宇宙であり、創造者としての宇宙である。
そこでは、何かが心に生じたと同時に、あっちでそれに伴って何かが生まれ、こっちでもそれが生じる。
宇宙はなぜ、すべてが自身を中心に認識されるこの私という存在を創ったのか。
宇宙は無意味なものを創造しない。
私という意識の実在は、私という意識の中心点を極めることを宇宙が求めている証明でもある。
真に広大な意識の獲得は、それと対極に見える徹底した一点の追求からしか生まれ得ない。それが、老子が語る一なる原理である。
「彼女たちは、花を見て美しいと感じる心が自身に生じるのは、花の精霊の働きを自身の魂が感知したからだと捉えるのだ」※タオ・コードより。
とおっしゃっております。
いかがでしたか?
ある人は言います。「世の中の9割が他人の人生を生きている。」と。
あなたは自分の人生を生きていますか?
それとも他人の人生を生きていますか?