森羅万象をゆく。

今日もありがとう。「今」と「中心」に生きる。

存在という存在は 活動により存在となる 存在するから活動するのではない

学校の朝礼で子供が貧血となり、バタバタと倒れる光景は、めずらしくない。

だが、登校中にバタバタと倒れるということはない。

 

両者の違いは1つだけだ。

 

後者は動いているが、前者は動かない。

 

 

コマは、回っている間、あたかも生き物のように立ち上がったまま動き続けるが、止まったと同時にただの物体として倒れる。

 

宇宙の本質はこれに近い。

 

私たちが存在だと思っている物質というものは、素粒子の活動であり、そこには活動はあっても存在はない。

 

存在は活動によって生まれている。

 

これが万象の基本原理だ。

老子はこれを「無」「有」を生むと言う。老子の言う「無」とは、存在以前の大いなる活動なのだ。

 

人間の活動には、この、存在以前の力から生まれるものと、存在としての活動とがある。先のことを思いわずらう時、物理的存在としての脳が過度の活動を行う。

これを老子「有為」と言う。

 

内なる創造的衝動に揺り動かされ、我を忘れて没頭してしまうような時、脳は弛緩し、超感覚的となって自己の真中心によって導かれる。

 

宇宙の創造原理と一つになる自己が生まれる。

 

 

とあります。

いかがですか?

 

【有為-うい】さまざまな因果関係・因縁のうえに存立する現象を意味する。

【有為‐ゆうい】能力があること役に立つ(人)。また、そのさま。

【無為‐むい】さまざまな因果関係・因縁によって造られたものではなく生滅変化を離れた常住絶対の法。

 

 

まとめ

有為と書いて(うい・ゆうい)と両方で読むことができますが、ういゆういでは意味が違ってくるみたいですね。

 

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