森羅万象をゆく。

今日もありがとう。「今」と「中心」に生きる。

人には天来のポジションがある 摩擦はその位置から はずれた分だけ生まれる

どうして○○はXXなのだろうか、もっとこうなったらいいのに…

 

そういう現状に不満をもち続け、いっこうに人生がよくならない。

これは、天が与えたあるべきポジションからはずれているからで、実際にはずれている場合と、心理的にはずれている場合とがある。

 

人間は誰でも、その人その人に応じた他の人では代わりになれない役割があり、そのポジションに身も心もあれば、必ず人生は充足する。

 

しかし、そこからはずれていると、その分だけ摩擦が生まれる。

摩擦は、そこは違うよという、天の声だ。

 

 

天来のポジションは奪い合って取得するものではない。

Taoは、ハーモニーの領域だ。

 

自尊心やプライドによる努力は、自分を守り、一時は物事を強固に成り立たせるように見えるかもしれないが、究極は人を大安心のTaoから遠ざけ、雪だるま式に不安は増大する。

人は、我という我を捨て去るその向こうで、真のあるべきポジションに必ず至るようにできている。

 

時間にもポジションがある。

Aの時に最適な事項がBの時には不適となる。

我を捨てれば時の神に導かれ、時の神に導かれれば、次々に物事が成就する。

内なる感覚がすべてのタイミングを導くからだ。

 

 

 

となります。

いかがでしたか?

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