誰かの欠点を嫌悪すると、その人はその人で、あなたの中の何かが欠点に見えてくる。短所是正型の教師が子供を成長させられないのは、そのためだ。
自分は人前で話すことが苦手だからと、その是正に取り組む。
がんばってがんばって人前で話そうとするが、がんばればがんばるほど、冷や汗が流れ、筋肉はこわばる。
「努力逆転の法則」だ。
短所是正とは、それが他者に対してであれ、自己に対してであれ、闘争であり、戦いだ。
発想を変えてみる。徹底的な受容に生きる。
だらしない子は、概してユニークな発想力をもつものだ。
その発想力にとことん着目する。彼がその才能を遺憾なく発揮する頃には、だらしなさというその欠点も消えているものだ。
話が苦手な人間は、話に向かうべきではない。
まったくちがう真に楽しいと感じる何かを徹底して極める。快の導きに順うのだ。すると、気が付けば、独自の絶妙な弁舌をふるっているものだ。
「欠けたる」を欠けたるままに受け入れる時、その「欠けたる」ことの必要性が見えてくる。
老子が「無為」と言う時、それは何もしないことではない。
老子は逆説の詩人だ。
それは、我をはさまない天の導き通りの最大の創造と活動の状態を言うのである。
とあります。
いかがでしたか?