どうして神様は
私をこんな目に遭わせるのだろう
なぜ助けてくれないの
と、あなたが思ったとしたら あなたは
あなたの望むその神様の導きに 今一番近づいている
まったく自分は悪くないのに、なぜこんなに不合理な苦しみを受けなくてはいけないのか。神様に祈っても、私を救ってくれないのは、やはり、神様なんていないからだ。
人生には、そんなふうに思いたくなる時もあるかもしれない。
しかし、こんなどん底にある時こそ。
人は、本当の意味で神の領域の近くにいるものだ。
必死で悩んだ時に思い描いたビジョンは、通常ではありえないほど未来に力を与える。
だから、どん底の時こそ。
建設的なビジョンが意味を持つ。
一生を左右するほどの青写真は、こうした時期につくられるものだ。
逆に言えば、どん底の時になげやりな思いを心に抱いたら、致命的な運気を作ってしまう。
奥多摩の野生化したニワトリは、野良猫に追われているうちに木の上まで飛ぶことができるようになったという。
人間も、時に必死になる必要がある。
納得のゆくレベルの苦悩であるならば、猫に追われたニワトリの心境にはならないだろう。
ゆえに神さまは、不合理という人間の目には悪魔に見える最適の方法で、それを与える。
Taoの領域に飛べるまで、継続的に天はそれを提供し続ける。
とあります。
いかがでしたか?