出会う一つ一つの出来事や存在が逐一、尊いと感じられるような人は、逆に周囲からもその人自身が尊く観えるものだ。
まわりが輝いて観える人は、その人自身が輝いている。
自身が外界を認識したその通りの認識で自身が決まる。
多くの偉大さを見る人は、いずれ、多くの人から尊ばれるだろう。
誰かに強くあこがれる人は、いずれ、誰かにとって強いあこがれの対象となるだろう。
どんなにすばらしい人間が目の前にいても、心がときめかなければ、いないに等しい。自身には何の変化も起こらないからだ
心がときめく瞬間に、その対象と見えない糸で結ばれる。この見えない糸があってこそ、内なる発動が起こり、輝きが生ずる。
輝く人は、輝きを観ることのできる目をもっているがゆえに輝くのだ。
人を知れば知るほど、人の中に嫌なものしか観れなくなる人がいる。これは、自身の心のフィルターを観ているにすぎない。
フィルターとは、我であり、我の分量に応じて、人間は幸せが自動的に制限されるようにできている。
幸せな運気の人は、すべてが輝いて観え、すべてが感謝の対象に観える。
とあります。
いかがでしたか?