森羅万象をゆく。

今日もありがとう。「今」と「中心」に生きる。

創造の崇高度は 弛緩の深度に正比例する

手を抜くことのすべてをよくないことと考える人が多い。

しかし、「深い弛緩の時にこそ、新たな始動が始まる」のが自然の摂理だ。

 

ニュートンの偉大な発見のほとんどは、疾病が流行したために大学を休んだ20ヶ月の間に起きたという。

大学から離れたとたんに発見のインスピレーションが洪水のように彼に押し寄せたのだ。彼はその間に、解放感と深いリラクゼーションの中にあったに違いない。

彼が大学で固く研究を続けていたなら、彼の名は歴史にはなかったであろう。

 

体の世界でも、いかにリラクゼーションを習得するかによって、球技も、体操も、武道も決まる。舞踊家の体は、力が抜ければ抜けるほど、その芸術性を増す。

 

深いリラクゼーションとは、単にぽかんとした心の状態ではない。

それは、時間感覚が失われるようなとした集中の繰り返しによって深まるものであり、無限の深度がある。集中とは中心性の確立であり、すべてを宇宙にゆだねる行為であり、だからこそ、すべての力という力を抜く必要があるのだ。そうして、内なる一点(Tao)につながることによる真の弛緩状態に至って、神業といえるほどの弛緩が生まれるのだ。

 

 

となります。

いかがでしたか?

 

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